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~Diary of the baby~

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2009

中国 ~四川省大地震~

四川大地震・・・
中華人民共和国中西部に位置する四川省アバ・チベット族チャン族自治州川県で現地時間2008年5月12日14時28分に発生した地震である。
地震によって道路や電力・水道・通信などライフラインが寸断された。
2008年7月22日、中国民政部の報告によると、現地時間21日正午現在までで、この地震による死者は6万9197人、負傷者は37万4176人に上り、1万8222人がなおも行方不明となっている。
4日時点での発表によれば、家屋の倒壊は21万6千棟、損壊家屋は415万棟である。
中でも学校校舎の倒壊が四川省だけで6898棟に上り、校舎倒壊による教師と生徒の被害が犠牲者全体の1割以上を数え、学校建築における耐震基準の甘さと手抜き工事の横行が指摘された。
11月21日の四川省副知事による発表では生徒の死亡者数を1万9065人とし、これは9万人以上とされる死者、行方不明者全体の2割を越えている。
地震により避難した人は約1514万7400人、被災者は累計で4616万0865人となった。
(以上、wikipediaより抜粋)

7月10日
今まで、様々な人々と出会い、今まで、私達が様々な先入観を持っていた事を痛感してきました。
成都でもたくさんの方と出会い、とてもいい経験をさせて頂いています。

その中の1人「よしさん」
よしさんは神戸のNGOのスタッフで、四川大地震直後に成都入りし、1年以上も成都で復興活動をされている方です。
前日の深夜、たまたま、よしさんと話す機会があり、色々と話を伺っているうちに、よしさんは何の活動をされているのかがすごく知りたくなり、「次の日も被災地に行き復興活動をする」との事だったので、無理を承知で同行をお願いすると、快諾?してくれて、私達と「みないちゃん」という、昆明に留学に来ている子と3人、同行させてもらう事になりました。

早速、次の日、よしさんと、カクサン(中国人のボランティア通訳)・ドライバー・私達の3人で被災地へ。
月並みの表現しか出来ませんが、想像以上でした。
DSCN0694.JPG DSCN0697.JPG
左:地で被災地のおばちゃんに聞き込みをするよしさんとカクさん。
 地震でレストランをなくし、旦那さんは雲南省に出稼ぎに出てて、おばちゃんは売店でバイトをしている。
右:行き止まり。。この先はゴーストタウンになっており、外国人は出入禁止。。

現地へ到着すると、まず初めに有名な時計塔が見えました。
時計は、地震があった2:28で止まったまま・・・。
この周りは、建物の下にまだ遺体が埋まっているらしく、建物がまだ倒壊する恐れがあるので、封鎖されているところもあります、ゴーストタウンと化していた為、言葉は非常に悪いですが、深夜に心霊スポットに行った時に感じる寒気みたいなものを常に感じ、写真を撮るのも躊躇したぐらいのエリアでした・・・
一年たってなお、この状態になっている事に、被災者の方達の厳しい現実が感じられました。
このエリアは復興せず、このままの状態で残すとの事。しかし、歩くのは危険なので、このエリアの上空にケーブルカーを建設し観光スポットにする計画があるらしい・・・
この辺はさすが中国・・・

次に向かったのは、160戸あまりの家があったのが地震で145戸が全壊したと言う村。
ここで、よしさんは地震直後から多くの日本人ボランティアの方と一緒に活動をし、村の再建をお手伝いされたとの事でした。
言葉は通じないけれど、もくもくと作業をするボランティアの人達。
彼らは地元の中国人の方達と一体になって、作業をして・・・。
一番つらいはずの被災者である彼らに、よしサン達ボランティアの人達は食事をご馳走になったり、笑顔で接してもらったり。
よしさんはその中の1人の中国人に、赤ん坊の名付け親になってくれと頼まれ、自分の名前の一文字を授けたとか。。。
よしさんは、今、日本からの募金でコミュニティセンターを7棟建設中で、この村の災害復興の為に尽力されているそうです。

福岡も何年か前に地震が起こりましたが、中国では、建物の耐震性がかけていたため、死者が多数出ていました。私達は、その時の様子を現地で被災地のDVDを購入し、宿で見てみることにしました。
・・・・・・・。
見る前によしさんに「覚悟してみたほうがいいよ!」と言われていた意味が、わかりました。

地震がきて、ゆれている部分が映り、逃げ惑う人々。なくなって、地面に横たわっているたくさんの遺体。
その横で泣き崩れている遺族。建物にうまったままの遺体・・・。
日本のニュースで見た震災の様子より、はるかに生々しく、悲惨な様子でした。

よしさんに色んな事を教えて頂き、そしてたくさんの事を考える機会を作ってくれました。
■対抗支援(被害を受けた県を、別の県が病院・学校・役所などの建設をはじめ全面的にバックアップするという政策)
■先富論(鄧小平が唱えた改革開放政策の1つ。) 
などなど、他に挙げたら切りがありませんが、政策・中国人の思考など、今まで中国を初め、諸外国に持っていた知識、イメージはすべてリセットする事にしました。

たった2日間でしたが、日本でテレビ・新聞・雑誌・インターネットしか見ずに、物事を判断するのはすごく危険な事だと心底感じました!!
日本のメディアを悪く言うつもりはまったくありませんが、
視聴率ばかり気にして無駄にお笑いを多用するテレビ番組、メディアの暴力にも気付いてないマスコミ関係者などが流す情報はそんなものとして聞き入れ、後は自分自身で得た情報で判断する努力を今後はして行こうと思います。
情報を流すのも自由・情報を視聴・講読しどう考えるかは、自分次第。。。
とても難しい問題ですね。
最後にグローバルになっている現代。先進国日本。国単位ではなく、国民がひとりひとり、地球のことに対して、高い意識を持っていかなければならない。。。よしさんには、本当に色々な事を教えていただきました。
私達も、日本に帰ってから自分達に出来る事を、少しずつやっていこうと思います!

ちょっと、熱く語っちゃいましたが(照)
DVDを見て、あまりの衝撃にちょっと言葉が少なくなってしまった私達。。。

本当に色々な意味で、衝撃的な1日。
とても濃い1日。
ありがとうございました。
この一日が経験できてよかった。。。

Akira&tomoco

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プロフィール

HN:
AKIRA & tomoco
年齢:
46
性別:
男性
誕生日:
1978/12/14
職業:
ニート
趣味:
旅,
自己紹介:
2005年6月に結婚。
AKIRAの長年の夢だった放浪の旅。
30歳を期に、夫婦世界半周旅に出ることを決意。
台湾経由バリ島行きの飛行機で、いざ、出発!!

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